2♥︎︎∗︎*゚カルチャーフィットについて
最近覚えた単語、カルチャーフィット。
要は、社風(企業文化)に合うかどうかってことね。
なるほど確かに、言われてみたらそこが全て、な気がする。
私という存在は変わらないのに、周りの環境によって、めちゃくちゃ力を発揮できたり、まったく発揮できなかったりする。
働く側からしてみれば、カルチャーフィットしてるに越したことはない。まじで。(私はそう思う)
どうしても息苦しい職場とか、過去にあったけど、仕事どころじゃないもんね。
(カルチャーファットしない人材はワークしない、という一文で片付けられる現象。)
ということで、今回の転職はカルチャーフィットを第一に選んでみた。
どうやって計るのかって?
直感よ。
そういう直 雰囲気を察知するのって結局、目に見える指標とかではなく、第六感というか、直感しかないでしょ?
もっとも、自分と同質の人たちの集まりがカルチャーフィットとは一概に言い切れなくて、
この人たちの中で、わたしはわたしとして自由でいられるか?ありのままフラットにフランクに活発に行動できるか?を、選んでみたつもり。
さあまた新たな、人生の1ページが始まるね。
ワクワクする!!
いざ、行かん♥︎︎∗︎*゚
人間関係、とか雰囲気、とか思ってきたけど、そうか、あれはカルチャーだったのね。
複数の人の集合意識と、昔から続いてる企業そのものの歴史、トップの意向、、、いろんなものが混ざり合って形成されるもの。
1♥︎︎∗︎*゚東京オリンピックまで1000日
1000日何かを続けたい!
と思ってる。
最近、習慣化 に改めて注目していて。
結局のところ、続けるのが一番確実な方法だったりするもんね。
わたしは特に、最短距離、最速達成しか興味がなかったからそっちは得意だけど、
コツコツは弱い。
だからひょんな事からコツコツできたとしたら、人生また、面白くなる気がしてる♥︎︎
書いて生きることについてはもう、
降参した矢先だから。
この先どんな仕事をしたとしても
どんな人生送ったとしても、
書き続ける。それはもう、抗えない。
書くために生きているし
書くために全てが起こっている。
わたしにとってはね。
だから1000日!
晴れの日も雪の日も嵐の日も
調子いい日もイマイチな日も
1文でもいい。
書き続け、その軌跡を残し続けることをここに誓う。
2020年7月24日
東京オリンピック開会式。
わたしはどんな気分で、
どこで誰と、過ごしているだろう。
どんな夢を描き
何を叶えているだろう。
1000日続けた先に見えているのは、どんな景色?
東京は、この近辺は、どんな風に変わってる?
世界はどんなふう?
とてもとてもとても、楽しみでたまらない♥︎︎∗︎*゚
17♥︎︎母性本能
子どもができる前は、子どもが好き!なんて思ったこともなくて、
面倒くさい、うるさい、できれば関わりたくない
だったはずなのに、
子どもが生まれた途端、
自分の子が可愛いのはもちろん、街じゅうの赤ちゃん子ども達が皆、かわいく愛らしく見えて、
ここぞとばかりに話しかけまくるおばちゃんの気持ちがわからなくないわ。なチルドレン溺愛モードになったはずなのに、
ある程度自分の子が大きくなるとまた、
面倒くさい、うるさい、できれば関わりたくない
モードに逆戻りしちゃうんだから、
母性本能ってものは凄まじい。
思うに私の精神年齢は本来3歳くらいで。
娘が3歳のときは、かなり、話が合っていた。考えていることがわかりあえるシンクロ感。
ところが4歳になっちゃうと、妙に大人ぶった正論とかを言い出して、一人置いていかれたような、とてもとても寂しい気持ちになったこと、覚えてる。
だから、母性本能が機能してたのはたぶん、子どもが3歳まで。とにかく命を守らなきゃ、っていう本能的使命感ね。
で、4歳過ぎてしまったら、ある程度は自分で生きていけそうだし、
何より私より精神年齢上だし、っていう。
年々薄れてゆく母性本能。
動物だもの。
って、妊娠出産してみて、何度となく思うわ。
16♥︎︎台風の夜に
台風の夜に、ぬくぬくとした室内で
ふかふかのあったかなベッドで
幸せなる構想を、妄想してる♥︎︎∗︎*゚
これからの生活、仕事。
これからのブログ。
これからの、人生。
ひとつ言えるのは、
今わたしはどうしようもなく、とてつもなくエネルギーを持て余していて
何かしら打ちこめる、フルコミットできるものを切に求めているということ。
カチリとはまり、全身全霊を傾けられるもの。
傾けざるを得ず
エネルギーを注ぎ込めば注ぎこむほど、元気になれること。
それが仕事なのか書くことなのか、は、問わないけれど。
ただ一つ言えるのは
わたしにとっては
全てが書くために起こっている、存在しているということ。
そう考えると深く納得できるし、
究極、そこが生きる道であることに、疑いの余地はないわ。
ということで、
先日志半ばで中断したブログマラソンは、今週どこかではリベンジしたい!
し、
とにかく1日中書く。ってのを、やりたい。
そして今やらないできないならきっと、その程度のものなんだろうと思ってる。
全てやりたいようにできるし
もちろん他の仕事して見るのもワクワクするし、
やっと気持ちが外向きになり、新たな出会いを楽しみにしているわたしもいる。
いま、変わりゆく時期。
さあ今日は、嵐の中で、安心して眠ろう。
15♥クリスマスマーケットに恋焦がれて
いつの日からか、とてつもなく、尋常もなく、もう言葉にできないほどに、クリスマスマーケットに恋焦がれている。
もちろん、本場ドイツの。
ニュルンベルグのクリスマスマーケットの写真を、一目見たときからだろうか。
身体中が、あの場所をもとめている。そんな感じ。
あそこに、行かなくては。
今までも毎年、行こうと思えば行けたのかもしれない。
でもなんとなく、「今じゃない感」もあったりで、延ばしのばしにしてきた。
こんなにもこんなにもこんなにも毎年、恋焦がれ続けてきたのに。
それがやっとやっとやっと、
今年は行く。
そんな気分になっている。
すでにツアーの目星もつけた。
※普段は個人旅行派だけど、効率よくたくさんの都市を回ろうと思ったら、やはりツアーに軍配があがる。
クリスマスマーケットへ行って
1日100記事更新したら、面白くない!?
ライブ配信とかもしちゃったら、超楽しくない(๑˃̵ᴗ˂̵)!?
クリスマスマーケットで仕入れた小物たち、どこかで販売できたら、
めちゃくちゃときめかない(๑˃̵ᴗ˂̵)!!!?
もう妄想が、とまらない。
旅行のしおりも作りたいし
何度でもこの度を追体験するために、極力動画で残したい。(+逐一感じた事のメモ)
クリスマスマーケット取材&買い付け!!!
動き出そう、いまこそ、今年こそ☆☆☆
14♥︎︎実力以上に盛る問題
実力以上に盛って見せる人が苦手だ。
これは、何もモラリスト的な善悪の話をしてるのではなくて、
単にわたしが生理的に、昔から苦手としてるっていう、個人的価値観の話。
(なのでべつに非難も批判もしてないつもり。でも吠えます。)
そもそもなぜ、盛る必要があるのだろう?
そのままでいいじゃない、ありのままでいいじゃない。
ありのままでは悪いと思ってるから、もとい、ありのままよりも盛った方がいいと思ってるから盛るのよね!?
そこが、わたしは無理。決定的に理解できない。
話を面白くするために、ちょっとくらい、いやだいぶ盛る、ってならわかるの。
お笑いに関しては、わたしは寛容。
けれども大真面目に、何の笑いの要素もなく盛る場合。
指摘するとしれっと開き直るか大袈裟に反論するような場合。
まるで意味がわからない。本当に。
なぜ、盛る意味が!?
いや、意味ならわかる。
その方が印象がいいと、本人が思っているから。
ビジネス的に、人間関係的に。
それは勘違いだ!!!!
(少なくとも、わたしから見ると。)
少し謙遜して、過小評価してるくらいの方がわたしは好感が持てるし
ビジネス上盛ってるなんて、詐欺に近いと思ってる。
しかし結局、
盛ってる人、盛ってるサービスには、そういうのが好きな人たちが集まる。
そういうのが苦手な人たちは、盛らない人やサービスを選ぶ。
世の中はうまくできている。
だからわたしは、今後、人やサービスを選ぶ基準に、
無駄に盛っていないか
を追加しようと思う。
13♥︎︎トーキョードライブ
この前珍しく、都内をタクシー移動したのね。
それが!
めちゃくちゃ楽しすぎて!!!
普段、滅多に車に乗らないわたし。
車目線のトーキョーど真ん中は、新鮮で別世界。
視界に入るランドマークのメジャー度が、
レベル高すぎる!
まず目にとまったのが!
国会議事堂!!!
振り向けばそこに国会議事堂。
ああ何年ぶりに、見ただろう?
息つく間もなく
東京タワーー。
スカイツリーオープン後の今もなお、存在感を保ち続ける先輩よ。
車窓から見るそれらは格別で
思わずスマホで写メパチリ。
今となっては
この写真、何に使うんだろう?と思うけど
思い出なのよ、思い出。
そういえば去年聞いた名言のひとつ。
『SNSにアップしない写真って、意味なくない!?』
、、、、一理ある、一理も二理も、あるって思っていたけれど。
記憶しておきたい何かに出会った時、人は写真を撮るんだな。って、身をもって知ったわ。
普段、電車であちこち移動してる街とこの街が、同じトーキョーなんて信じがたい。
トーキョー再発見。てこーいうことなのね。
もっと、もっと発見したい!
まずはYouTubeでドライブ動画を見て、疑似体験するところから。